あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。今年は月1回くらいは更新したいなぁ、と。
明日からまたパダンで、しばらくは月の半分くらいは日本におりませんが、ちょくちょく更新試みます。(「試みる」のみか・・・?)
2012年が皆様にとって良い年でありますように。

タッチ&ゴー

Roo2011-11-23

パダンから、ジャカルタを経由してシンガポールへ。
初めて着陸に失敗し、再度やり直し、という体験をしてしまいました。まぁ、これだけ飛行機乗っていて初めてなんていうのが珍しいかもしれないけど。そういえば、一昨年イエメンに行った時は、初めてのロストバゲージを経験。あと経験しておくべきことって何だろう(って、あっても困るか)。
明日は、シンガポールからホーチミンを経由してフエへ。飛行機の旅は続きます。
ちなみに、写真は西スマトラ州パダン。これから2月まで後2回ほど通う予定。

絡み酒と毘沙門天

最近、歳だなぁ、と感じるのは酒に酔うようになったことである。
酒で記憶をなくす友人やら、寝てしまう友人やらをみて「お酒はほどほどにするべきですよ」と思っていたのだが、心してかからないと、自分も酔ってしまうようになった。以前なら、「これくらいまでならいけるやろ」というところでペースを落とせば、朝まで飲んでいても全く酔わなかった。コントロールを意識しなくても、適当なところで体が自然にストップをかけていたのである。最近は恐ろしいことに「これくらいまでならいけるやろ」と思うことがなく進んでいき、この間、とうとう記憶が飛んでいることに気づき愕然とした。
その日、オーストラリアからの学生と居酒屋で奈良の地酒を散々飲み、最後には8世紀大唐帝国ウイグル都市への影響について熱く語っていたのは覚えている。しかし、次の瞬間、なぜか彼とマクドでポテトを食べていたのにはビビッた。「飲んだ後にポテトかよっ!?」と心のなかで大いにツッコミをいれたが、またその後に記憶が飛び、次に意識を取り戻したのは、彼とわかれて自分のアパートに帰る家路だった。歩いていて、ふと「あれ?私マクドでポテト食べてなかったか?」と思った次第である。おそろしや。
そして先日、仕事仲間と飲んでいて「あ、また私ってば酔っている」と感じた瞬間がある。その時はなんと、「兜跋毘沙門天(現在は東寺に安置されている)が以前、羅城門にあったとしたら、北を守護する毘沙門天がどうして都の南に位置する門にあったのっ!?」と文書関係者にしつこく聞いていた。かなり、ウザい。
どうやら、私は絡み酒であるようです・・・。はい。

奈良太郎と秋の夜

Roo2011-10-02

東大寺には「奈良太郎」とよばれる国宝の銅鐘がある。
奈良時代のものだが、今でも毎日撞かれる現役の鐘らしい。「一度聞いてみたいんですよねぇ」と上司に話すと、鋳造に詳しい上司が「そうかぁ?あの鐘のあの状態だと聞こえるのはこんな音だぞ」と奈良太郎の鐘の音を真似てくれた。研究に基づいてのリアルな鐘の音の再現のようである。おそろしい。ちなみに、次郎と三郎についても話してくれた。ディープだ・・・。
とにかく(?)、わざわざ鐘の近くにいかずとも、私が住んでいるあたりでも、音が聞けるらしいという情報を手に入れて、鐘が鳴る夜八時に窓を全開にして待ってみた。すると、銀杏の葉が風にゆれる音と鈴虫にまぎれて、確かに、微かに聞こえる。どのあたりまで聞こえるんだろうなぁ、と疑問に思いつつ数日が過ぎたが、たまたま昨夜、家より少し南の方で聞く機会があった。氷室神社で例祭があり、日が暮れてからの舞楽奉納を拝見しにいったのである。

氷室神社例祭の夕座舞楽は午後六時半すぎにはじまり、午後十時ちかくまで続くそうだ。奏者も舞人もえらく大変だろう。中央の舞殿を少し遠巻きに囲むように薪の火に照らされて氏子さんをはじめとする人々が蠢く。もちろん神様のための舞なので、みる人はけっこう自由に話したり、行き来したりする。その雰囲気が、格式ばってみるよりも、なんともいえず良い。私もイスにすわったり、薪の近くで火で暖まったりしたりとウロウロしていたが、ちょうど舞殿の横から立って観ていたところ、龍笛篳篥の音と重なって鐘の音がはっきりと聞こえた。ちょうど大仏殿の東にある鐘の位置から南西に風が吹いていたのか、非常によく聞こえた。つーか、あんなに回数撞くなんて知らんかったし(うちからだと数回しか聞こえなかった)。

写真は出番をまって舞殿をのぞむ舞人です。昔、グラスゴーで観たレンブラントの"Man in Armour"みたいな印象でした。

中門と南門

Roo2011-09-05

すべての社寺にあるわけではないが、しばしば社寺には南門と中門がある。東大寺の有名な金剛力士像があるのは南大門。そのまままっすぐ大仏殿にむかっていき、正面にある門が中門である。通常は閉まっているので、参拝客はそこから西にむかい、西角にある入り口から大仏殿の回廊に入っていく仕組みになっている。中門が開くのは大晦日と中元(私の知っている限りでは)。

春日大社にも中門がある。本殿のひとつ手前の門がそれ。通常参拝者は、拝殿までしか立ち入りできないが、特別拝観の時にのみ、この中門の手前までいくことができる。八月の中元万燈籠の時にはこの門が開かれており、門のところで数名の神職祝詞を一心不乱にあげていたのにはびっくりした。すごい迫力だった。

つまり、中門は特別な時にしか開扉しない。今でこそ、一般人である私が中門までいくことができるが、遠い昔は一般の参拝はせいぜい南門止まりだったという。さて、何故に突然私がそのようなことをいいだしたのかというと、少しシャイな上司をもつ同僚の台詞からである。

「あの人さ、中門が開いた!と思ったら、南門だったりするんだよ。難しいよね」

中門と南門についての違いを建築専門から教えてもらった後だったからわかったけど、そうでなかったら「?」の内容である。そんな比喩が通じるなんて変な世界だな、オイ、と思いつつ、つまり、それだけ心を開いてくれるのが難しいってことね、と納得していると、すかさず、どこまでも楽天的な先輩の余裕の発言。

「え?お前そんなんなの?ダメな奴だな〜」
自分はとっくの昔に中門開けて本殿です、って感じである。

ただ、彼の性格を知る我々は、中門開けたと思って満足しているのは彼だけで、実は第一の鳥居付近であろうな、と確信するのでありました・・・。
罰当たりですみません。

【ならまち】イスラエルの靴

友人が研究会で奈良にくるというので、研究会までの時間、ふたりでならまち散策へ行ってまいりました。ならまちは初めてという友人に「ここの氷がすごいんだよ」とか「ここのケーキがおいしくて」と食べ物ばかり案内していたが、そういえば、このへんに気になる雑貨屋さんが・・・と、雑貨屋さんに付き合ってもらう。


そこで、これまた前から気になっていたが値段故に購入をためらっていたイスラエルの靴NAOTを試着。


ちゃんと足の特徴をふまえて相談にのってくれる店員さんや、あまりの履き心地の良さにより、一足購入してしまいました。購入を決めると、私の足の甲にあわせて、店員さんの手で職人さんのようにカツンカツンと皮をのばしてくれ、これがまた絶妙。早速今日履いて仕事に行ってみたが、靴擦れなどナシ。丁寧な作りゆえに、丁寧に履いて皮の味わいをだしていきたいところ。ちょっと最近靴との出会いがなかっただけに、先が楽しみな一品です。