絡み酒と毘沙門天

最近、歳だなぁ、と感じるのは酒に酔うようになったことである。
酒で記憶をなくす友人やら、寝てしまう友人やらをみて「お酒はほどほどにするべきですよ」と思っていたのだが、心してかからないと、自分も酔ってしまうようになった。以前なら、「これくらいまでならいけるやろ」というところでペースを落とせば、朝まで飲んでいても全く酔わなかった。コントロールを意識しなくても、適当なところで体が自然にストップをかけていたのである。最近は恐ろしいことに「これくらいまでならいけるやろ」と思うことがなく進んでいき、この間、とうとう記憶が飛んでいることに気づき愕然とした。
その日、オーストラリアからの学生と居酒屋で奈良の地酒を散々飲み、最後には8世紀大唐帝国ウイグル都市への影響について熱く語っていたのは覚えている。しかし、次の瞬間、なぜか彼とマクドでポテトを食べていたのにはビビッた。「飲んだ後にポテトかよっ!?」と心のなかで大いにツッコミをいれたが、またその後に記憶が飛び、次に意識を取り戻したのは、彼とわかれて自分のアパートに帰る家路だった。歩いていて、ふと「あれ?私マクドでポテト食べてなかったか?」と思った次第である。おそろしや。
そして先日、仕事仲間と飲んでいて「あ、また私ってば酔っている」と感じた瞬間がある。その時はなんと、「兜跋毘沙門天(現在は東寺に安置されている)が以前、羅城門にあったとしたら、北を守護する毘沙門天がどうして都の南に位置する門にあったのっ!?」と文書関係者にしつこく聞いていた。かなり、ウザい。
どうやら、私は絡み酒であるようです・・・。はい。