仲麻呂の月

天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に いでし月かも

いわずと知れた百人一首にでてくる阿倍仲麿(阿倍仲麻呂)の歌である。唐へ渡り、科挙試験に合格し、玄宗皇帝の信を得て登りつめた仲麻呂は、さぁ、帰ろう、と思ったら今度は帰国許可がおりない。何度かお願いして、やっと帰れることになったが、今度は船が難破して安南へ流れ着いてしまう。恵まれた才をもつ努力の人で、難破しても生き残る強運の持ち主であるようなのに、悲劇の人である。

平城宮から東を臨むと、大仏殿と三笠山がみえる。阿倍仲麻呂が、思い出した月は、いつの季節にみた月で、何時くらいの月で、どんな月だったんだろう、と時々考える。夕方、生駒山のむこうに夕日が消えて、まだ薄明るい中、ぼんやりと薄くみえるあの月か、凍える漆黒の冬空に、冷たくかかるあの上弦の月か。もちろん、遣唐使の航海の安全祈願は春日であったというから、そういう意味もあっての歌なんだろうけど、ふと空をみた時に、素直に心に残る月だったのかもしれない、と妄想する。興福寺境内くらい近いところから振り仰いだんだろうか、それとも、平城宮くらいの位置から遠くみたのだろうか。

唐でみる月も同じ故郷にでる月と同じ月。ものすごい遠くまで来てしまっていて、何もかも違っている土地なのに、見上げるあの月は同じ。実は、奈良に来るまで、その感覚がよくわからなかった。というのも、私が故郷では、そんな心に残っている月がなかったからである。高層ビルの隙間にみえる月、というのはあったが。お、きれいだな、とは思っても、そんなに印象に残らなかった。ただ、今夜、三笠の山にでた満月をみて、ふと仲麻呂を思い出した次第である。

平城宮出土の瓦をみて、この瓦は仲麻呂が歩いた時、上にあったのかもしれない、と想像する。ベトナム北部で出土した安南の時期の瓦をみて、これも彼と同じ空間にあったかもしれない、と思う。物質は変化するものだから、彼のみた何かと私のみた何かは同じものではないけれど、1300年後の私たちも、やはり、ふと足をとめて月を仰ぐ、そんな瞬間がある。