音は聴こえど姿は見えず【楽友協会ホール】

キーシンがくるらしい」といわれたのは、木曜日のことである。「ふーん。誰だっけ、それ?」とナチュラルに返したのは私である。私のピアニスト認識、そんなもんである。
そんな私が、ふとキーシンを聴きにいこうと思い立ったのは、今回、楽友協会の大ホールにはまだ足を踏み入れていなかったからである。5年前に初めてあのホールに足を踏み入れた時の大きな衝撃は、いまだに忘れられない。長方形の「箱」を彩る黄金の装飾。アテネのエフェソス神殿のような女神達もこれまた黄金。ま、眩しい!と目を覆いそうになるような派手さがありながら、悪趣味ではないギリギリの線が素敵。ベルリン・フィルの本拠地は、「さぁ、皆様。これが音楽なのです!ジャジャーン!」というみせるダイナミックさを持つ空間であったが、ここのホールでは創りだされる空間も、「さぁさぁ、どなた様もこの素晴らしい音楽に一緒に陶酔しようじゃないですか。あぁ、音楽って素晴らしい」と空中に花が舞う感じである。音楽家たちによって創りだされる空間へ惹きこむ力が並みではない。ということで、あのホール、もう一度見ておきたいなー、という不純な動機でキーシンを聴きにいくことにした。
キーシンをご存知の皆様はおわかりかと思うが、もちろん「なに言ってるんだ馬鹿野郎。キーシン様の演奏を聴きたいなら、去年からプログラムをチェックし、気合いれてチケットとってきやがれ。立ち見も何もかもとっくの昔に売り切れだいっ」ってな感じである。彼はそんなんでチケットが手に入るようなピアニストではない。開演一時間前に、のこのこと楽友協会のチケットオフィスに顔を出した私の目当てはキャンセルチケットだったが、その望みもどこかで執事をしていそうな風貌の受付のおじ様に
「ない。全然ない。まったくもって皆無」
というようなすべての否定の言葉を使われていわれてアウト。まぁ、けど今までの経験から、キャンセルチケットというものは、ギリギリじゃないと入ってこないものなのですよ。ということで、ネットで予約した人達が開演前に発券するために列をつくるチケットオフィスで、キョロキョロと挙動不審な動きをしながら待つことにした。私の他にも「ツレは持ってるんだけど、もう一人分ほしい」という人や、あきらめられない音大生やらが同じように売ってくれる人がいないか目を光らせている。そのうち、受付のお姉さんが「誰か!一枚キャンセルでたわよ!」と叫んだり、「誰かこの1枚いらんかねっ!」などでてきて、その場は戦場と化す。特に並んでなどはいないので、早くそのチケットのところに辿り着いた方が勝ちなのだ。その時、「カオなし」(BY千と千尋の神隠し)と化すのは私である。
「あ・・・あ、あ・・・」と片手をだしては出遅れる。鈍い人間はこういう時に不利である。
結局、開演10分前になって、他にも待つ人が大勢いるものの、その場に1時間も前からいてキャンセルチケットを手に入れてないのは私くらいになり、「やぁ、私ってば古参者?」などと変な余裕をみせて達観していると、人だかりのむこうで受付のおじ様が私を指して呼んでいる。
「ほら、あんた、あんただよ!おいでってば!」慌てて近寄ると、「1枚必要なんだろう?立ち見一枚でたから、もうこれで行きなっ!」と4ユーロ(560円ほど)の立ち見券を売ってくれた。どうやら、1時間近くも、いろいろな人に先を越される私に呆れて、最後には指差しで呼んでくれたらしい。
ヘコヘコと御礼をして立ち見席に駆け込むと、そこは犇く人、人、人。混んでいる正面部分に乗り込む勇気は到底なく、舞台が見えない脇の壁に寄りかかる。つまり、音は聴こえど姿は見えず、である。それでも、聴く価値はおおいにあった。ベートーヴェン、ピアノ・ソナタハ長調OP.2/3とピアノ・ソナタ変ホ長op.81a。そして休憩後にショパンのツェルツィ全曲。ショパンの方が盛り上がったようだが、私は彼のベートーヴェン、好きである。どっきゅーん、とやられた。心が震えるってこういう事だ。私のような素人では、それしかいい様がないのが悔しいが、4月に彼は東京でも演奏するらしい。
ぜひ、皆様も陶酔してください。