神に祈りを【ブラティスラヴァ②】

ブラティスラヴァ2日目は日曜日だった。ベルギーにいた頃も、友人が毎週日曜礼拝に参加していた事を知っていたので、聞いてみると、やはり家族と一緒に日曜は教会へ行くのが習慣らしい。60パーセントはカトリック教徒が占めるスロヴァキアであるし、ベルギーの大学もカトリック大学だったので、やはり彼女の家もカトリックかなぁ、と聞いてみると、プロテスタントだった。
「明日は朝からどこかに遠出してもいいし、教会に行かなくてもいいのよ」と気をつかう彼女に、キリスト教徒でもないけど、いつも彼女の行っている日曜礼拝というものに興味がある、と伝えると「まぁ、他とちがってうちの教会の礼拝は1時間くらいで終わるから」と連れて行ってくれることになった。
ウィーンでも教会に入っていっては、礼拝を後ろの柱の影から観察している私である。1時間くらいどってことないさ!と高をくくっていた。夜9時半には寝てしまう家族だったし、9時間弱も寝て、睡眠もばっちり。さぁ、いざ向かわん、という頃になって、思わぬ試練が私の前に立ちはだかった。
土曜の昼に食べたインド料理にあたったのである。
いや、あたったというか、なんというか、特に痛みはないし、お腹も減っていないのに、ゴロゴロゴロとお腹が鳴るんである。朝食を食べている時も、「グーゴロゴロゴロ」とお腹を鳴らす私に、ご両親は「もしや食べ物が足りていないのではっ!」とリンゴやらミカンやらヨーグルトやらを私の前に山積みにしてくださる。いや、そうではなくてですねぇ、お腹は空いているわけではないのですよ、ムシャムシャ(残すわけにはいかなかったので)という感じ。思い返せば、カレーの横にでてきたヨーグルトとココナッツをあわせたようなサラダがあやしい。こ、これは牧師さんのお説教の間、静かな教会で「ぐーごろごろ」と音を鳴らしてしまうのではないかと、かなり不安なまま教会へ。
彼女の家族が通っている教会は、ブラティスラヴァの中心に位置するが外からは教会には見えない。コンクリート建築の団地のようなビルのひとつの扉が木造になっていて、そこをくぐると外からは想像できないような200名ほど収容できる教会空間となっているのである。共産党時代、大っぴらに建造できない宗教施設の苦肉の策というやつだと彼女が教えてくれた。プロテスタント教会としては規模が大きいもののようで、入るとヘッドフォンタイプの同時通訳機を渡された。スロヴァキア語を英語にしてくれるらしい。彼女の友人に囲まれて後ろの方にすわると(ご両親は20年来座っている席が前の方にあるそうで、別だった)、ズラリと見える人々の頭のなかで飛び石のようにヘッドフォンをしている人が数人見える。外国人は私だけではないらしい。少しホッとして、牧師さんの話に耳を傾けると耳慣れた名前にギョッとする。
「今日は、日本の東京からシスター・アキコがきてくれました」
どっかーん。
それって私やん。しかも、シスターってさ・・・。思わず隣の友人にむけてバタッと倒れてしまった私である。どうやら、友人のお父様が「いま家には日本人が泊まっててさ。いや、今日も教会に来ているんだがね」と牧師さんに話したらしい。日本人を代表して、一言、とかいわれたらどうしよう、と青くなったがそんなことはなしに話しは進んで、ひと安心。しかし、説教が始まって10分もたつとお腹の調子が悪くなり、話しを聞くどころではなくなった。通訳機むなしく、頭の中で「羊が一匹、羊が二匹・・・」と変な集中方法でお腹が鳴らないようにするばかり。最後は正面の十字架にむかって「どうかお腹が鳴らないようにしてください」と真剣に祈る始末。
礼拝が終わってすぐに隣の友人に小声で「お腹鳴ったの聞こえなかった?」と聞くと、「大丈夫。そんな大きく鳴ってないから、隣の私くらいにしか聞こえなかったわ」とのお言葉。
それって、左右隣には聞こえていたってことだよね・・・とほほ。
③につづく・・・