詣でついで

Roo2005-05-20

詣でついでというのも変だけど、熊野詣も久しぶりだった。大学以来だったので9年ぶり。あの時は大学の友人と二人で年末から4日間ほどかけて紀伊半島をまわった。高野山、熊野本宮、那智大社、串本、大島とバスや列車を駆使してまわったのをよく覚えている。奈良の五条という場所からワンマンバスで熊野本宮にむかったのだが、ワンマンバスでトイレ休憩があったのもびっくりしたし、最終料金が3000円近かったのも笑えた。ワンマンバスとは思えない高額運賃である。

今回は奈良からの貸切バスでの移動だったので、あの山道ルートかぁ、と思っていたら、新しく白浜までのびた高速を使えば、時間的には五条の山道経由と白浜経由では、熊野までの時間は変わらないという。運転手さんもその方が楽そうだったので、今回は白浜経由で行くことになった。それでも4時間ちょいはかかったが。

久しぶりの紀伊半島だったが、大学時代はよく紀伊半島をふらふらと訪れていたことを思い出す。最初の旅で知り合った人が、田辺の山中に梅林と山小屋を持っていて、招待してくれたりしたのだ。紀伊半島のいい所は、山も海も近いところである。その山小屋からも、歩いて2キロほど降りるとすぐに海岸に着く。海岸といっても海水浴ができるほどの砂浜ではなく、磯釣り?ができるようなゴロゴロした岩の突き出た磯だった。そこでボッーと海を見てると自然と眠くなり、岩の間に挟まるように昼寝したりしていたが、数度通りがかった釣り人があまりにもギョッとするので、それからは岩の上でボッーとして三田のことなど考えていた。

そう、三田。「みた」じゃなくて「さんだ」。実は三田藩を治めていた九鬼家は紀伊半島の出身。現在の熊野本宮宮司も九鬼家(しかし、この九鬼家の「鬼」には上の点がないらしい。つまり角なし。)。九鬼水軍は織田、豊臣の時代に全盛期をむかえ、紀伊半島領域を支配していた水軍である。三田藩を治めていたのは、その九鬼水軍の九鬼家。つまり、徳川の時代は水軍が三田という山中に追いやられてしまったわけ。それでもあきらめずに、武庫川で水軍の訓練を続けてたっていうからいじらしい。九鬼家のことを知ったのは三田に住み始めてからだが、それ以降、けっこう九鬼の名が目に付く。例えば、好きな作家のひとりである白州正子と九鬼家の関係、とか(白州正子のお墓は三田にある)。三田から離れてずいぶんたつが、何故だか自分の研究分野にも「九鬼」の名前がチラホラでてくる。

三田ゆえに紀伊が気になるのか、紀伊ゆえに三田が気になるのか。
今回の訪問でもバスから海をボッーと眺めながら変な縁を考えていた次第である。
あぁ、三田牛食べたい。(最後はそれかい)
あ、ちなみにこの写真は熊野古道を平安装束で歩く観光客です。私じゃないですよー。