詣でまくる

詣でまくる、なんていう日本語があるかどうかはわからんが、この2ヶ月で日本の社寺を詣でまくった。伊勢2回、熊野詣で1回。東照宮2回。南禅寺銀閣寺、清水寺竜安寺大徳寺東大寺興福寺法隆寺、そして修学院離宮京都御苑まで。さらに平城京の太極殿復元工事まで見学。

伊勢なんて20年ぶりだった。残念ながら20年前の記憶はほとんどない。「伊勢神宮」とは「内宮」と「外宮」、そしてそれに連なる100を越える社の総称、なんていうのも忘れていた。しかし、この伊勢神宮、国外の文化財保存修復分野では非常に有名な名称である。ヨーロッパの保存修復関係者は「イセ」という言葉をよく知っている。あるひとつの議論がこの神社を例に提示されたからである。

伊勢神宮は建築的に新しいか否か?「遺産」と認められるか否か?という議論。

式年遷宮といわれる行事がある。これは20年毎に新しいお宮を建てて、そこに神様をお移しする行事である。つまり、神様の引越しだ。祀られている神は、20年毎に新しい宮に移ることにより、不死鳥のように甦る。以前、それは国家再生の儀式でもあった。上空からみるとよくわかるが、現在の社殿の敷地とまったく同じ広さの敷地がその真横に存在する。遷宮の際は、そこに双子のように全く同じ社殿が新築される。そして、儀式により神がお渡りになった後、古い社殿は取り壊され、片方はただの敷地になる。しかし、20年後にはそこにまた社殿が新築される。その繰り返し。
ある外国人(ま、日本人でもいいかもしれないけど)を神宮に連れていったとしよう。それで「これは奈良時代から続く神社ですよ」と言う。「え?だって築20年でしょ?」となる。築20年では遺産にならない、という。ごもっとも。

しかし、それで終わらないのが伊勢である。その建築様式は日本最古といわれる唯一神明造。奈良の時代から度々、戦や経済的理由で途絶えることはあれども、木材の切り出しから組み立て、棟飾りにいたるまで全て同じ様式を受け継いできた。職人達の技、そして遷宮に伴う儀式、それらは世代から世代に伝えられてきた「遺産」である。故に20年、かもしれない。つまり、50年か60年の職人人生があるとして、先代から伝えれる遷宮が1度、自身の遷宮が1度、そして後世に伝える遷宮が1度。そんなサイクルなのではあるまいか。

このような伊勢神宮における例にみるような、木造建造物におけるオーセンシティとは何か、という議論を受けて採択されたのが、1994年の「奈良」宣言。以降、NARAとISEは保存修復の講義に必ず登場する日本語となる。目に見える建造物と目には見えない受け継がれる職人技。「遺産」の定義は難しい。

まぁ、おそらく一部の人にとっては伊勢神宮が制度的に遺産と認められても、どうでもいいこと。私もそう。そんな制度なくても、あそこは間違いなくある人々にとっての「遺産」であり、「聖域」だろう。あれだけの警備員や監視カメラに囲まれた神社も他にない。驚いた。

次の遷宮まで後8年。遷宮の儀式は8年前から始まるから、今年がその準備開始の年である。
さぁ、神様の引越しが始まりますよ。