もういくつ寝たら

Roo2004-08-06

お正月・・・ではなくてオリンピック。紀元前の古代ギリシャに起源をもつオリンピックは、今年久しぶりにギリシャにかえる。昨年のかなり早い段階で、その工事遅れが指摘されてきたギリシャだが、案の定・・・終わらない。メインプールは当初屋根付きだったが、結局工事の遅れのために、屋根なしとなった。その他にも準備遅れによる選手への影響も大きい。しかも、開催のせまったこの時期に、警備にあたる警察などの労働組合がここぞとばかり賃金の値上げを政府にせまる。
うーん、いいとこなし?
昨年、ロドス島で開催された世界遺産都市会議に出席するために、6年ぶりにギリシャの地を踏んだ。会議のレジストレーションもなかなか進まず、既にそこでオリンピックの心配を各国の参加者としていた記憶がある。頻繁に使われる「ノープロブレム」。いや、プロブレムだらけやっちゅーの。しかし、ふと思えば、はて?この感覚。インドネシアの「Tidak apa-apa」とタイの「マイ・ペン・ライ」に通じるものがないか?と思えて少し懐かしい。

まぁ、イライラすることは多いが、それでも私はギリシャが、ギリシャ人が好きなんである。

ギリシャ語で「ケフィ」という言葉がある。
会議で会ったギリシャ人や、ベルギーで働くギリシャ人の友達にその事について聞いたら、びっくりされた。「あなた、ギリシャの若者はもうそれを知らないわ。古くて忘れられつつあるもよ」と。どのギリシャ人もこの言葉を訳すのは難しい、と言う。それは概念的な意味をもつ。「大胆な」「不敵な」とか。「どんな逆境でも笑いを忘れないこと」とか。

ギリシャ人はいつでもこの「ケフィ」を忘れない。どんな逆境にであっても心の中に「ケフィ」を持って戦う。そのように書かれた本があった。それが失われつつあるのは悲しい。それでも、EUROで戦い抜いて優勝をもぎとったギリシャ選手達、ミスは多いけどとびっきりの笑顔を見せる人々。思い出すと、やっぱり人々の心には、いまだ「ケフィ」があるのではないだろうか、などと思う。

ギリシャ魂。オリンピックでたんと見せていただきたいものである。