【當麻寺】練り供養なう

Roo2011-05-15

なう、ではないが、當麻寺の練り供養に行ってきた。去年までとは比べられないくらい、論文と自分の時間に使える週末。LOVE奈良。
當麻寺に行くのはなんと13年ぶり。「二上山に行こう」という友人に誘われて、二上山に登った際に立ち寄った記憶がある。ただ、その際は二上山登山(登山というほどでもないけど・・・)で疲れ切っていて、山門しか覚えていない。今回は、正午には寺に着いて(練り供養は午後4時から)、じっくり境内を拝観した。これが、なかなか面白い。開創された際の役行者との関係なんて知らなかったし、あそこの西塔が奈良時代のものだって知らなかった。勉強せねば・・・。
當麻寺で有名なのは中将姫の話だろう。練り供養は、極楽にいかれた中将姫が娑婆に里帰りし、再度極楽にお帰りになる際に二十五菩薩がお迎えにくる、というストーリで展開する。中将姫は「中将姫物語」では藤原鎌足の曾孫・藤原豊成の娘とされているが、その出生や人生は伝説に彩られている。能の「当麻」や折口の「死者の書」と再度読み返すとさらに面白い。
極楽堂(通常は曼陀羅堂と称する)で高僧たちが読経を唱えるなか、寺院の東に位置する娑婆堂にいらっしゃる中将姫を目指し、着飾った稚児や僧侶の団体、そして二十五菩薩がぞろぞろと娑婆堂へと渡る。最後の二菩薩、特に観音菩薩は手に蓮台を持ち、練り進む。帰りは、その蓮台の上に中将姫とされる仏像を乗せ、再度極楽にむけて練り上がってくるのである。
最初に近鉄で宣伝広告をみた時に「なんてシュールな・・・」と思った菩薩の姿だが、大変楽しめた。この行事、おそらく長い歴史のなかでいろいろな変遷を経ているにちがいない。二十五菩薩の内にいる方々(「講員」といわれていた)は、どうやら普通の人らしい。付き人に支えられながら歩いてくるが、観衆の中にいる家族や知り合いらしき人が時々名前を呼んでいた。音楽も笙や龍笛雅楽的なもの、読経、そしてヒーリング系の音楽などが場面によって流れてカオス状態である。
ふと気づくと、極楽堂にお座りのお坊様に見覚えが・・・。あれ?あれって東寺の・・・と思い、寺案内をみれば、當麻寺弘法大師真言仏教を伝えた霊場高野山真言宗別格本山なのでした。確かに総本山東寺からお坊様がいらしていてもおかしくないと納得。まぁ、見間違いかもしれませんが。
写真は、菩薩に救いを求めて手をのばす人々・・・ならぬカメラをのばす観衆です。