強奪?

Roo2006-05-02

月曜に大学に行った際、研究室のE先生がなかなか面白い時計をなさっていたのが目にとまった。E先生は「遺跡エンジニアリング」なる論を唱えている研究者で、遺跡保存関係者が、遺跡のみに目をむけがちだった1980年代に既に「遺跡のみをみないこと!その周辺にも目をむけなさい!」と唱えていた大先生である。
その時計は、腰のベルト通しにかけるようになっていて、実は、似たようなものを以前、私も使っていた。パリのマレをうろついている時に、ある雑貨屋で気に入って買ったのだ。しかし、安物故か、まず時計と金具をつなぐベルト部分がとれ、「むむむ。こりゃいかん」とその部分を紐で補強し、その後、カンボジア調査中に、時計の裏版がポロリととれた。「まけないぞー」と、裏はビニールテープで補強(?)して、しつこく使っていたら「カンボジア人みたいな修理の仕方してますね」と同僚に指摘された。しかし、テープで補強したのが敗因か、カンボジアのすさまじい埃にやられてご臨終と相成った。
私がその時計を気に入ってたのは、自分が金属アレルギーである故に腕時計ができない体質であるからだが、もうひとつ理由がある。雑貨屋で
「この時計の名前、『ドリームハンター』っていうんだよ」
と店員さんにいわれたからだ。くくく、カッコよいではないか、と使っていたのである。私の中の自動翻訳機では、勝手に「夢狩人」ってな漢字に変換されている。狩人って響きいいねぇ(←馬鹿)。
さて、そんな懐かしい時計を思い出して、「E先生のもってらっしゃる時計、私の以前使っていたものに似てます」と、時計の名前の話をしたら、E先生は照れくさそうに笑った後、
「じゃ、コレ、お祝いに君にあげる」
と腰の時計を取り外し、差し出してくださった。いや、そんなつもりでは(←いや、ほんとに!)、と恐縮する私だったが、最後はありがたく頂戴してしまった。なんとなく、『初心忘れるべからず』というような教訓を時計と一緒に手渡された気がするのだ。最高のはなむけとして。
E先生、ありがとうございます。