人質立てこもり事件

カンボジアシェムリアップで16日に起きたインターナショナル・スクール人質立てこもり事件。事件発生後から6時間後に一応の解決をみたが、人質となっていたカナダ人園児が1名亡くなるという悲しい結果となった。
家にこもっていたため、実はニュースを知らなかったが、メールをチェックするとその関係のメールが連続していくつかはいっていて気づいた次第。嫌な予感がしたが、案の定メール内容は、知り合いの日本人の娘さんがそのスクールへ行っていたという事。しかし、連続するメールの題名には「無事」の文字。
とりあえずほっとして、ネットでニュースをチェックすると知っている名前がちらほら。それだけ狭い街なのだ。犯人はスクールの元警備員だという。これは怖い。現地の外国関係の施設は必ず独自で警備員を雇っている。もちろん防衛上必要だからである。普段守ってくれている人々が敵にまわる怖さ。重要になるのはそれだけの信頼関係を築けるか、という点だが、私が現地にいた時、それができていたかどうか自信がない。警備員さん達と交流を深めるよりも、犬と真剣に遊んでいた気がする。
生まれてからずっと死とは背中合わせに暮らしているはずなのに、私はすぐに死を忘れる。都合の悪いことは忘れるのが私の特技であるが、その分、それが日常に入り込んできた瞬間の恐怖は大きい。死でも暴力でもだ。世界のどこにいても、これは変わらない。安全な国といわれる日本でも、尼崎の脱線事故のように、簡単に恐怖は日常に降ってくるのだから。