演奏会に行きし事

師匠の演奏する公演のチケットをいただいたので、親戚と一緒に観に行く。

「平井澄子三回忌追善演奏会」というもので、読んでの通り3年前にお亡くなりになった平井澄子さんの追善公演である。内容は、神代(?)の時代から歌い継がれている神事芸能とされる神楽歌や、江戸時代後期から伝わる「鹿の遠音」(尺八)、三弦・筝による峰崎勾当の代表作「残月」、平井澄子の代表作「切支丹道成寺」からの「ガラサ豊な」など幅広い。演奏陣も幅広く、そのうち3名は人間国宝の方々であった。ちなみに、そのうち一人は私の師匠が師事した先生でもある。(えっへん)

師匠について篠笛・能管を習ってもう6年目になるのに、天性の芸術音痴がなせるわざか、芸の道とはほど遠い私である。小澤征爾の指揮するロッシーニと高校生の指揮するロッシーニとの聴き比べなどしようものなら、間違える自信がおおいにある。(って邦楽ちゃうやん)
しかも、前もって「あの人がすごい人なのよ!人間国宝なのよっ!」とか言われてしまうと、その人が何をしても「ほぉ、すごいなあ」なんて思ってしまう。特に自分が聴き慣れない音楽なら尚更だ。だって聴き慣れてなかったら、ある人がやった歌の演出を、演出と気付かないで「あら、声がでてない。風邪かしら?」と思ってしまうにちがいない。

けど、やっぱり自分がやっている笛については毎週師匠の音を聴いて耳が肥えているらしく、演奏会での人間国宝の演奏を聴いて、あぁなんだかこの人は違う、とか一人前に思ったりする。どう違うか、なんて聞かれたら「低音の響きが絶妙な調節によって・・・」とかじゃなくて、ただ一緒に共演したもう一方のお弟子さんの音と比べての違いが明らかだっただけ、ですが。

お弟子さんの響きは、そりゃもう美しくて、うっとりしてしまうような音なのだ。天上の音楽といったら言い過ぎだけど、もう聴いてて「α波でてる〜」とリラックスしてしまう音なのである。

一方、人間国宝はというと・・・魑魅魍魎がでてきそうな感じ?
もう何でもでてきそうな音。底知れないものを感じるとはこういう事なんだろう、と思ったりもする。
黒袴をまとって正座する姿がまた妖怪を彷彿させるような迫力を・・・(失礼)。

けど、こんな感想を師匠に伝えたら、師匠から破門にされそうなので、ここだけの話にしておくことにしよう・・・。