能ヲ楽シム①「翁」

いまさらですが、能が好きです。歌舞伎より能をよく観にゆきます。で、実は少し書き溜めてきたものがあったので、新年よりそれをちょこちょこ出してゆきたいなぁ、と思った次第であります。まったくの素人からみた勝手な能感想。自己満足、ご容赦くだされ。

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2004年1月12日(月)観世能楽堂 梅若研能会1月例会「翁」
梅若万三郎 面箱:山下浩一郎 三番叟:野村与十郎 千歳:梅若紀長 大鼓:大倉正之助 脇鼓:幸 正昭 頭取:幸 清次郎 脇鼓:森澤 勇司 笛:松田弘
「翁」には「調べ」がない。「調べ」とは演目が始まる前に鏡の間で「フフフ.ホホホ.ヒヤ.ヒヤヒヤリロ」と演奏されるアレである。開演前のざわつく会場を少しずつ鎮めていく。笛指附集にも「調べハ如何ニモ落付キテ緩カニ調ブベシ」と書かれている。幕の向こう側から流れてくる少し遠い調べは、どこか異世界からの「呼び声」に思えて、少しずつ観客を非日常の世界に招いていく重要なステップのひとつであるといえる。
「翁」においてはその「調べ」がなく、翁役を先頭に粛々と橋を渡ってくる。人数のわりにあまりに静かに渡ってくるので、手元の案内を読んでいた私は気づかずに、隣の友人につつかれて既に始まっていることに気づいた。いつもは一人ずつ適度な間隔を置いて進んでくるのに、この時は10人以上の人物が橋に犇く。さらにこの演目のみに使用される囃子方の烏帽子も効果して、最初の登場は圧巻であった。最初の翁に扮する予定の人物(この時点ではまだ面をつけていないので、まだ翁ではないといえる)が舞台正面中央までくると、ひと振り、ふた振り、ゆるりと左右に袖を振る。これがどのような意味を持っているのかは知らないが、これが「翁」の始まりであったように思う。単純な動作でありながら、それは大きな力を持って場を動かした。
鳥肌がたった。
それは合図であり、何かを祓い、何かを動かすものだった。
舞台で面をつけるという事も興味深い。面をつけることにより、そこに翁が現れる。そして富国豊穣を祈るように地を踏みかためた後、消えてゆく。そして、それに抗するモノが現れる。これが黒翁になるまえのモノである。モノは物の怪のモノに通じる。その後、モノはさらに神化を遂げ黒翁の面をつけて神に近い「精霊」となる。またこの精霊も豊穣を祈り鈴を鳴らし、地にあるものを固め、耕し、呼び起こし、鎮め、実りを願う。そして現れた2つのモノは最後に面箱に収まって退場するのである。
その演舞形態や「トウトウタラリ」で始まる呪術的ともいえるような謡によって神事に近いとされている「翁」であるが、私が気に入ったのはその単純性である。能を鑑賞する時は気合と十分な睡眠と勉強が必要である。それは、交響曲を聴くことに似ている。複雑にからまる音を分解して組み立てて、その構造を理解しようとする感じ。(んで、私はしばしば寝る)しかし、翁には少なくとも「勉強」が必要ない。まるで田舎の神社で毎年行われているような祭りを見るような気分である。能として完成される前にはおそらく、周りの人々も踊ったり謡ったりして参加するものもあったのではないだろうか。それこそ田楽のように。
「翁」には単純な、人々の願いがある。今年の実りが豊かであるように、日々の暮らしが豊かであるように、と。そして、この一番基本的で一番強い望みこそ、「神」に通じるのかもしれない。
どなた様も 新年に幸あれ。